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2015年9月

2015年9月27日 (日)

エンゲージ

指輪をする事が嫌いだ。指輪に限らず、装飾品を身に付ける事が嫌いなのだ。理由は単純に、邪魔だから。(それと、衛生的に問題があると感じるから)

結婚指輪も当然嵌めていない。angry

今回の葬儀参列で、致し方なく嵌めたが、嵌めた瞬間に考えた事は取れなくなったらどうしよう?だ。
指輪が取れなくなった時の焦りは尋常無いモノがあると思うが、これは、物理的というより精神的な恐怖心からではないだろうか?
即ち、指輪によって固定される・行動範囲が(精神的な行動も含めて)限定されてしまう様な、そんな苦痛を瞬時に感じるからではなかろうか?

結婚は人生の墓場、とはこういった感情なのではなかろうか?口では「愛があれば」等と言っても、やはり行動が制限される事は動物的に避ける習性があるのではないだろうか?

そんな事を考えながら、指輪と格闘して無事に取る事が出来た。関節が妙に太くなっているので、取りづらいのだ・・・crying

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2015年9月26日 (土)

何往復?

彼女のお母さんの通夜と告別式が終了。仕事の都合で、告別式の出棺までしか滞在出来なかったが、無事に終了して何よりだ。

告別式では、気丈に振る舞う彼女のお兄さんが、印象的だった。彼女も何かを堪えていた様子で、手を差し伸べる事しか出来なかった・・・

場所が渋谷のお寺で、道が判らず苦労した。ナビは全く頼りにならず、下見の道を記憶を頼りに進むというアナログさ。渋谷なんて、車で行く所では無い!

帰り道、横川SAで地元のローカルアイドルらしきグループが、ステージを披露していた。何処かで聞いた様なポップスを歌っていたが、無視して車内に戻ると演歌が流れていた・・・

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2015年9月23日 (水)

疲労困憊

彼女のお母さんが、21日に亡くなられた。お見舞いに行った時は、既に手遅れ状態で、何もしてあげられない身が情けなかった・・・
更に残念な事に、死に目に会う事が出来なかった・・・

病室では、心拍数や呼吸数等がデジタル管理されていた。(これは、判り易い、という事で良い事なのは理解しているが)人の命もデジタル管理なのだ、と思い、寂しく感じたが、看護師さんは手厚く看護してくれていたし、デジタル一本では無い不思議な空間だと感じた。

予期していた事だが、やはり急過ぎた。日帰り東京・新潟を往復したり、シルバーウィーク中の大渋滞に巻き込まれたりと、かなりの疲労度。

会社の連休中の出来事で、更に休む事になり、同僚にも迷惑を掛けている(が、コレは致し方ない)。

明日、仕事後、東京に取って返し、通夜・告別式に参加。告別式も途中までの参加となる予定で、誠に申し訳ない次第だ。

とにかく、以後は彼女を全力で支えなくてはならない、気を引き締める。

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2015年9月20日 (日)

予定変更

本日は、メインフィールドである中野を散策。そこかしこで祭りの神輿が練り歩いていた。休日という事もあり、そこそこ盛り上がっていた様だ。

夕方より、予定変更。彼女の実家が慌ただしくなる。お義母さんが危篤状態に!
見舞いに行くが、既に言葉は話せない状態。

休み云々ではなく、冷静に行動しなければならない。

取り敢えず、明日一旦帰って色々準備を整える事にする。

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2015年9月19日 (土)

歩いたぞ~

本日は、友人と共に上野の森美術館にて開催中の「大河原邦男展」を観賞。カラー原画の迫力に圧倒される。とにかく良い刺激になった。

観賞後、アキバを散策。模型屋やまんだらけに、彼氏に連れられて結構人数の女性を見掛ける(いやいやな雰囲気がありありだが・・・)。それでも随分時代は変わったな、と実感。

そのままアキバで飲むが、こじんまりとした個室の用意されたお店でゆっくり飲む事が出来た。これも、昔とは違うな~と感じた。

朝から歩きまわったが、充実した一日だったので気にならないなgood

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2015年9月18日 (金)

節目の帰郷

昨日、下道ドライブで東京へ参上。

道中、ずっと雨であり憂鬱なドライブであったが、無事到着出来てなにより。いつもの駐車場が空いておらず別の駐車場に止める事になったが、料金が割高な為、本日移動。いつもの倍の料金げんなり。

友人は相変わらずだが、知り合いが丁度田舎に帰っている様で、飲み会は中止。crying寂しい限り。

本日は予定がありアキバに出向くが、収穫無し・・・何かがおかしい。

資料集めの為「書泉」へ。ブックマートが今月一杯で閉店という事なので、最後の雄姿を写真に収める。学生時代から世話になった書店なので、寂しい限り。(とはいえ、リニューアル後は見るべき所が無く、脚は遠ざかっていたが・・・)

それにしても、毎回書いているが、道行く女の子が、格段に可愛く見えるのは、田舎者だからか?

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2015年9月 9日 (水)

何が残酷なのか?

今回読破したのは、伴野準一著「イルカ漁は残酷か」です。

イルカ漁は残酷か (平凡社新書)

世界から批判の目を向けられている、和歌山県太地町の追いこみ漁。ここまで話が大きくなったのは何故なのだろうか?
追い込み漁の発祥から、漁師へのインタビュー、反捕鯨活動家へのインタビュー、くじらの博物館への取材等、多角的にイルカ漁を検証した1冊。
読み進めると、捕鯨擁護・反捕鯨両者のステレオタイプの意見の言い分だけでは解決の糸口が見つからない理由が判る。

個人的には、捕鯨(イルカ漁)は止めるべきでは無い、と思う。というのも、反捕鯨派の言い分が「鯨・イルカ(鯨類)は頭が良い、可哀想」という感情論だからだ。食物として生物を殺す事を人間は放棄出来ない。それがなぜ判らないのか?という思いがある。
これは、食材として鯨類を見ているからだ。

著作の中で、鯨類の屠殺方法は他の哺乳類と比べ残酷であると述べられている。イルカ漁が残酷か否かと問われれば、確かにそうなのだろう。しかし、殺して食べる事に変わりは無い。残酷で無い殺し方ならば許される、というのであれば、そこが突破口になるかもしれない。
更に、食用の場合は適正な量か否かが問題だ。捕り過ぎているのであれば、問題ではあるが、残酷であるとは無関係だ。

しかし、反捕鯨は漁自体を止めるべきだ、と言ってくる。彼等は鯨類を食材ではなく地球に住む仲間、という目で観ている。ここが両者の混じる事の無い意識の違いだ。

水族館への生体売却問題も著作の中で述べられているが、これに関しては、漁とは関係が無いと思っている。生け捕りにする限り、漁自体に問題は無いハズだからだ。

何が問題なのか?そこが判らないまま、お互い感情論で突き進んできた結果が現在の状況なのだろう。

少し冷静に考える為にも、こうした書籍は読まれるべきだ。

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